ハウリン・ウルフは1910年にミシシッピで生まれたブルースシンガー。1960年代のブルース・ロック誕生に際して最も直接的な影響を与えたと思われる。ロックへの直接的な影響ということでいえば、マディ・ウォータースと双璧をなすだろう。巨体から発するだみ声と「獰猛」と形容されたエネルギッシュなステージは他に類を見ない。その破壊力を模倣しようとしたところからブルース・ロックが産まれたといっても過言ではない。
バイオグラフィー
本名チェスター・バーネット。1910年6月10日 – 1976年1月10日。1930年代の初頭、チャーリー・パットンにギターを師事したが、長らくアマチュアとして音楽活動を続け、デビューは1951年その時41歳と遅咲きだった。デビューまでには従軍や服役などなかなか波乱万丈の時を過ごしているようだ。
ハウリン・ウルフによる原曲
この1曲を聴いただけでもハウリング・ウルフの破壊力は十分堪能できるのだが、後に掲げるジミ・ヘンドリックスやツェッペリンによるカバーと聴き比べて欲しい。ブルースロック、特に60年代後期のイギリスにおいてのそれが、どのように誕生したのかが容易に想像できるのではないかと思う。
ジミ・ヘンドリックスによるカバー:Killing Floor
イギリスに渡った頃のヘンドリックスの十八番がこの曲だった。デビュー初期のセッションではいつもこの曲を選んでいたことはよく知られている。中でも名高いのが、イギリスに渡った直後のクリームとのセッションだ。ヘンドリックスはこの曲を弾き倒してエリック・クラプトンとジャック・ブルースに強い衝撃を与えた。このショックを元に作られたのが、名曲として知られる「Sunshine of Your Love」だ。ジャック・ブルースはセッションの後自宅に帰るなり一気にこの曲を書き上げたのだという。文字通りジミ・ヘンドリックスにインスパイアされたこの曲をヘンドリックス自身もカバーしているのが面白い。
原曲を換骨奪胎して別次元へ飛んで行ってしまったジミ・ヘンドリックスのアレンジもすごいが、原曲をリフまで忠実になぞりながら、全く新しいブルースロック=ハードロックというスタイルをぶち上げたツェッペリンアレンジもすごい。そして何より原曲の破壊力がロックの誕生にどれほどのエネルギーを与えたかが、この1曲で語りつくされているように思える。
レッド・ツェッペリンによるカバー:レモンソング
こちらも有名なツェッペリンによるカバーとなる。このセカンドアルバムがリリースされた当初、The Lemmon Songのクレジットにハウリング・ウルフの名はなかったのだが、現在ではきちんとクレジットされている。リリース当時には、ブルースナンバーをカバーするという意識ではなく、全く新しいサウンドを作り出しているのだ、という自負があったのかもしれない。
聴き比べてみると印象は全く違うのだが、よく聴くと原曲のリフやメロディーを比較的忠実になぞっていることがわかる。とはいえこのカバーアレンジはとても巧みだと思われる。原曲を忠実になぞりながらも全く新しいサウンドとスタイルを確立している。そしてこれこそまさに典型的なブルティッシュ・ブルース=ハードロックの誕生の瞬間に他ならない。
リアル・フォーク・ブルース
1965年リリース。ハウリン・ウルフ初期の56年から65年までのシングル盤をまとめたもの。当時のハウリング・ウルフのインパクトを手っ取り早く堪能できる1枚だ。