パリの5月
1968年は特別な年でした。パリでは5月革命と呼ばれた運動がおこります。運動を起こした側から見ればそれは『革命』であり、体制の側から見たそれは『危機』でした。経緯については五月危機 – Wikipediaを参照して欲しいのですが、学生運動と労働運動が連携して大きな社会運動に発展します。
それはやがて先進各国へ飛び火して同時多発的な運動となり、国際的な連帯感を生みます。国ごとに具体的な問題とそれに対する不満は多様だったのですが、弱者、持たざる者、少数者が体制に対して反旗をひるがえすという意味での連帯感を持っていました。
この運動は、政治的に見れば「新左翼」に区分され、伝統的な左翼のイデオロギーを基盤としながらも、旧来の左翼の組織や権威による独裁を強く否定した「反権威主義」という特徴を持っていました。
「マイノリティの権利擁護」と「反権威主義」という本来の政治的な建前が、ベビーブーマー世代の若者たちの「自由になりたい、ただ自由に生きたい、スポイルするな」というナイーブな願望とシンクロし、次第に巨大な共感となって世界に広がったのです。現実には、ナイーブな願望の方が主役であったと言ってもいいかもしれません。
最終的に政治的な成果はほとんど残せませんでした。先進各国で体制の側は大きく動揺はしましたが、体制そのものが大きく変わることはなかったのです。しかし、文学・美術・音楽・演劇の領域には巨大な影響を与え、それが「カウンターカルチャー」と呼ばれる大きなムーブメントを頂点まで運びました。そのシンボリックなイベントとして1969年のWoodstokフェスティバルがあるわけです。
この時代において、クラシック音楽は旧文化と権威主義の代表として捉えられることになってしまいました。クラシック音楽は近代において貴族階級とブルジョアがその担い手となってきたことは明らかです。さらに師弟関係による権威主義が跋扈していることは現代においてもそれほど変わりがないでしょう。68年を中心とする若者の時代の只中にあって、ロックが権威主義への反抗のシンボルである一方でクラシックは権威主義のシンボルとして位置づけられてしまうわけです。時代がナイーブで前のめりな共感に満ちているため、こうした後から考えれば単純すぎるステレオタイプが堂々と共有されてしまいます。
ミニマル・ミュージック
この時代の「現代音楽」界隈にはある種の文化的圧力がかかることになったのは想像に難くありません。その結果の一つがミニマル・ミュージックで、それは必然的にヨーロッパではなくアメリカで展開します。そしてその手法や価値観は時代と緩やかに共鳴するものです。
ミニマル・ミュージックの発祥は、1950年代のアメリカにおける美術・建築分野でのムーブメントだったミニマリズムです。ミニマリズムでは「装飾を排し、極限まで簡素化された表現スタイル」を追求します。ミニマル・ミュージックにおいては、素材を極限まで切り詰めて単純化した結果として素材を徹底して反復することになります。
ミニマル・ミュージックの手法として、フレーズパターンの反復、音響素材の反復、ドローン(低音の偏執的な引き伸ばし)、反復パターンを土台にした即興演奏、民族音楽のとり入れなどが挙げられます。特に様々な反復と位相のずれがもたらす陶酔感はドラッグ的な恍惚感ともいえ、理論的な背景を考えずとも体験するだけで理解しやすい、と言えます。それらはファンクやハウス、クラブミックスのサウンドに浸った時の陶酔感や恍惚感と別のものではありません。
手法を考えただけでも、ジャズやロックとの親和性は明らかです。実際、デビッド・ボウイやブラインアン・イーノなどはミニマル・ミュージックから明確に影響を受けています。ボウイはフィリップ・グラスと共演まで果たしています。
68年を中心としてこの時代=抵抗の時代=マイノリティの復権の時代にあって、伝統音楽=権威の系列の側にあった「現代音楽」の領野で、ジャズやロック、フォークと時代を共有して共鳴するものがあった、という事実は少しばかり興味深いです。