ジェームス・ブラウンとB.B. キングの黒いウッドストック

モハメド・アリ(1942年1月17日 – 2016年6月3日)は、アメリカのプロボクサーで活動家としても知られていた。史上最強のヘビー級ボクサーと評価されることもある。 1964年から1970年までリング誌のヘビー級王座を保持。 1974年から1978年までは無差別級王者、1978年から1979年まではWBAとリングのヘビー級王者だった。

1967年、当時チャンピオンだったアリは、徴兵を拒否したために王座を剝奪されボクサーとしての資格停止処分を受けた。当時は、公民権運動がベトナム反戦運動と同調しながら盛り上がりを見せていた時期だった。公民権運動家たちは、アリの徴兵拒否をアフリカ系アメリカ人の勇気ある行動として讃え、彼の行動が黒人の自由を象徴する行為であると受け止めた。1970年には資格停止の状態から復帰して再びタイトルに挑むことになる。同じ1970年、公民権運動の指導者の一人であるラルフ・アパーナシーからマーティン・ルーサー・キング賞を授与された。

キンシャサの奇跡

そのモハメド・アリが、1974年の10月30日、王者ジョージ・フォアマンに対して挑戦者として挑むことになった、プロボクシングWBA・WBC正解統一ヘビー級タイトルマッチ。「アフリカ系アメリカ人のヘビー級ボクサーが、その故郷であるアフリカ大陸で行うタイトルマッチ」といううたい文句で「Rumble In Jungle」というキャッチフレーズの元一大イベントとして開催された。

結果としては、モハメド・アリがフォアマン有利との前評判を覆して劇的な勝利をおさめ、この試合は後に「キンシャサの奇跡」と呼ばれることになった。

ザイール’74 ブラック・ミュージック・フェスティバル

ここからが本題なのだが、このイベントが特異なのはプロモーションイベントとして「Zaire 74 」(ザイール’74)と銘打たれたブラック・ミュージック・フェスティバルが催されたということだ。このフェスティバルは開催の時期・時代もあって「ブラック・ウッドストック」とも呼ばれている。

つまり、アフリカ系アメリカ人ボクサーのプライドを賭けたタイトルマッチを盛り上げるために、アフリカ系アメリカ人のプライドを象徴するブラック・ミュージックのアーティストが集合した、という建前になっている。9月22日からの3日間に渡って行われたフェスティバルには、

  • ジェームス・ブラウン
  • B.B.キング
  • ビル・ウィザース
  • ザ・クルセイダーズ
  • ファニア・オールスターズ
  • セリア・クルーズ
  • ザ・スピナーズ

といったアメリカのミュージシャンに加えて

  • ミリアム・マケバ
  • マヌ・ディバンゴ

といったアフリカのミュージシャンも参加して「黒いウッドストック」とも呼ばれる一大イベントとなった。この模様は2010年に公開された映画「ソウル・パワー」で観ることができる。


B.B.キング ライブインアフリカ

さて、この「黒いウッドストック」におけるB.B.キングのパフォーマンスもまた映像作品となっている。この時のB.B.Kingは50歳なのだが「全盛期」と言っても過言ではなく、ギタープレイは脂が乗り切った時期にあり、完璧にショーアップされたステージを堪能することができる。因みにバックでギターを弾いているのは若き日のラリー・カールトンである。この時期すでにクルセイダーズのアルバムに参加してそれなりの評価は受けていたはずだが、日本ではまだほぼ無名だった。

5.Sweet Sixteenでは曲の最後に一瞬ではあるが、客席のモハメド・アリの姿が映る。

晩年のB.B.キングはYouTubeで様々な映像を見ることができるが、例えばエリック・クラプトンなどブルースの息子たちを伴ったステージにあって完全に好々爺になっている。しかしこのかつての全盛期のテンションが張り詰めた演奏と歌を目の当たりにすると、時代をリードした「ソウル・パワー」を改めて思い知らされるのだ。実際このステージが醸し出すのはブルースというより「ソウル」それもピークを迎えたソウル・ミュージックに他ならない。と個人的には感じてしまった。

B.B. King Live in Africa

1. To Know You Is To Love You
2. I Believe To My Soul
3. Why I Sing The Blues
4. Ain’t Nobody Home
5. Sweet Sixteen
6. The Thrill Is Gone
7. Guess Who
8. I Like To Live The Love

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