ジミ・ヘンドリックスがロンドン在住時に住んでいたアパートが、18世紀にヘンデルが住んでいたアパートのそのすぐ隣で、現在そこはヘンデル博物館になっているのをご存じでしょうか。
ジミヘンがヘンデル好きだったわけ – 日本経済新聞 (nikkei.com)
全米ツアーも成功させ、初アルバム「エレクトリック・レディランド」をリリースした68年、ジミヘンは英国人ガールフレンド、キャシー・エッチンガムとともにブルック・ストリート23番地の建物の最上階に引っ越してきた。
https://www.nikkei.com/article/DGXBZO11424910R20C10A7000000/
まず日経の記事で「エレクトリック・レディ・ランド」は初アルバムとあるが、実際には3枚目のアルバムである、という点は先につっこんでおきます。
ジミ・ヘンドリックスがロンドンに移住したのは1966年9月。”ヘイ・ジョー”でデビューするのが1966年12月。そして、1968年の1月にHendrixはブルック・ストリートに引っ越してきました。短すぎるキャリアの中でも最も勢いに乗っていた時期だろうと思われます。その年の12月にリリースされるElectric Lady~に収められた曲の多くは、この部屋で書かれたようです。
そして200年越しの隣人ヘンデルの方は、
ヘンデルは1759年に亡くなるまでの36年間をブルック・ストリート25番地の自宅兼仕事場で過ごし、「ハレルヤ」の合唱で知られるオラトリオ「メサイア」などの傑作を生み出す一方、現在まだ貸店舗が営業中の地上階に窓口を設け、自らオペラの切符を売った。
https://www.nikkei.com/article/DGXBZO11424910R20C10A7000000/
日経の記事によると、Hendrixはヘンデルとの200年を隔てた縁を意識しており、引っ越しを機にヘンデルの作品を買い集めていた、とあります。ロンドンのアパートの一室でバロックを聴くJimi Hendrixの姿を想像すると少し和むものがあります。しかし、彼が愛聴していたバロックは実はヘンデルだけではありません。バッハも愛聴していたらしいのです。
このページにHendrixがブルック・ストリートに在住していた時代のレコードコレクションがリストになっています。
Jimi Hendrix’s Record Collection – (handelhendrix.org)
これを見ると、コレクションの大半は(当然のように)ブルーズが占めるのですが、それに混じってバッハやヘンデルのレコードが入っているのが確認できます。こんなところが、この人の才能のスケールを示すわけです。しかも、ただ聴いていただけではなくWoodstockの演奏でバッハのモチーフを使っていたのです。
WoodstockのJimi Hexdrixと言えば、アメリカ国歌~Star Spungled Bannerがあまりにも有名です。この歴史的名演はメドレーでPurple Hazeに続きます。さらにその後で”Woodstock Inprovisation”と題された4分に及ぶ即興演奏の曲を演っています。その1:28では、バッハのパッサカリア ハ短調 BWV582の導入部のモチーフが使われているのが確認できます。
わずか20秒余り、知らないで聴いていたら全開の「ジミ・ヘンドリックス節」にしか聴こえないのですが、これは紛うことなくバッハのモチーフです。
200年の歳月を経た、バッハ、ヘンデルとジミ・ヘンドリックスの縁をどう感じられただろうか。因みにこの縁をRachael Mapで確認してみます。3人に混じって坂本龍一やジャック・ブルース、リッチー・ブラックモアの名前も見えて興味深いです。