Gonna Take A Miracle/ ローラ・ニーロ

吉田美奈子、ローラ・ニーロ、ラベル

筆者がローラ・ニーロとパティ・ラベルに出会ったきっかけは実は吉田美奈子だった。デビュー初期の吉田美奈子は「和製ローラ・ニーロ」と呼ばれていて、試しに聴いてみたアルバムがLAURA NYRO / GONNA TAKE A MIRACLEだった。このアルバム1枚でローラ・ニーロとコーラスグループ「Labelle」に夢中になってしまった。

吉田美奈子のインタビューによれば、まだデビューする前の彼女が細野晴臣からローラ・ニーロの存在を教わり、擦り切れるほどに聴きまくったのだそうだ。初期吉田美奈子のニーロからの影響はたやすく見て(聴いて)取れる。もっとも彼女(吉田美奈子)が夢中で聴いたのは、どうやらこちらのアルバムだったらしい。


Laura Nyro – New York Tendaberry (Expanded) (Remastered) CD アルバム 【輸入盤】

ローラ・ニーロについて

ローラ・ニーロはアメリカのシンガーソングライター。1970年をまたぐ「シンガーソングライターの時代」にあって、キャロル・キングと並んで代表的な存在であったと言える。1967年にアルバム『More Than A New Discovery』でデビューした後、「Eli and the Thirteenth Confession」1968年、「New York Tendaberry」1968年と立て続けにアルバムをリリース。生まれ育ったブロンクスのソウルフルなストリートの匂いをまといながら、文学的な内省を秘めた作風が同世代のアーティスト達に多大な影響を与えた。ゴスペルを思わせるエモーションで透き通るようなハイトーンの歌声は、極めて豊かな表現力を持ち、そこでもまた高い評価を得ることになった。

ソングライターとしても非凡な才能を発揮し、5thディメンションは「Stoned Soul Picnic」、「Sweet Blindness」、「Wedding Bell Blues」、「Blowing Away」をヒットさせ、ブラッド、スウェット&ティアーズは「And When I Die」をヒットさせた。「Eli’s Coming(イーライがやってくる)」はスリー・ドッグ・ナイトによってレコーディングされ大成功を収め、1970年にはメイナード・ファーガソンがこれをカバーした。また、バーブラ・ストライサンドのアルバム『Stoney End』にはニーロの曲が3曲も収録された。要するに彼女は、ソングライターとしてもシンガーとしても高い評価を勝ち得ることになった。

生い立ち

ローラ・ニーロは、ニューヨークのブロンクスで1947年に生まれた。調律師を生業とする父親はジャズ・トランぺッターでもあった。その父親の影響で10歳になる前から独学のピアノで作曲を始める。本人の弁によれば音楽と文学の中に引き籠るような子供であったという。母親が好きだったジャズ・シンガー、ニーナ・シモン、ビリー・ホリデイなどから影響を受けたが、10代の頃にはストリートやパーティでのグループ・ハーモニー、特にガールズ・グループのサウンドやブリル・ビルディングから溢れ出てくるポップソングに強く心を惹かれていたようである。マンハッタン音楽技術高校に入学して音楽を学ぶが、そこでは音楽的な影響よりもむしろ彼女の進歩的な政治観に影響を及ぼしたようである。

Gonna Take a Miracle


輸入盤 LAURA NYRO / GONNA TAKE A MIRACLE [CD]

1971年にリリースされた『Gonna Take a Miracle』は少し特別なアルバムだった。この時点でのニーロは、既に「シンガー・ソングライター」であり、優れたソングライターとして高く評価されていたにもかかわらず、アルバムは全曲がカバーなのだ。このアルバムは、ニーロのソロアルバムというよりは、ニーロと”ラベル”とそしてプロデューサーであるギャンブル&ハフのコラボレート作品だったのだ。ギャンブル&ハフは、フィリーソウルのオールスターとも呼べるMFSBのメンバーをこのレコーディングのために集めて最高のコラボレート作品を仕上げた。

ニーロは10代の頃に大好きだったソウルやR&Bの曲をカヴァーし、コーラストリオの「ラベル」がガールズ・グループ・ハーモニーの手助けをすることになった。ニーロはラベルの熱狂的ともいえるファンであったが、このアルバムでのニーロは自分が主役として「ラベル」を完全に使いこなしたといえる。そしてラベルは恐らくニーロの期待通り(あるいはそれ以上)の活躍を見せた。

『Gonna Take a Miracle』は1971年の5月から6月にかけて、フィリーソウル=シグマ。サウンドの本拠地であるシグマ・スタジオで行われた。ドゥーワップ、ソウル、R&B、ポップ、ゴスペルを融合したフュージョンサウンドではあったが、紛れもなくローラ・ニーロというアーティストの世界観の内にあるサウンドだった。

“Gonna Take a Miracle”パーソネル

  • Laura Nyro – vocals, piano
  • [Nona Hendryx], [Patti LaBelle], [Sarah Dash] – vocals
  • [Norman Harris], Roland Chambers – guitar
  • [Ronnie Baker] – bass
  • Lenny Pakula – organ
  • Jim Helmer – drums
  • [Vincent Montana Jr.] – percussion
  • Larry Washington – bongos,
  • Nydia “Liberty” Mata – congas
  • [Bobby Martin], Lenny Pakula, [Thom Bell] – string and horn arrangements

その後のローラ・ニーロ

1971年の暮れに、ニーロは結婚して引退を発表した。小さな町での静かな生活が望みだったという。しかし、1976年に離婚したニーロは音楽活動を再開した。アルバム「Smile」をリリースするが、これはジャージーでリラックスしており、いかにも彼女らしい内省的なサウンドとなっていた。ニーロはこのアルバムのためにツアーバンドを結成し、そのツアーからは初のライブアルバム「Session of Light」が生まれた。ニーロはその後もあくまでマイペースで活動を続けるが、1997年の4月、癌のために亡くなる。まだわずか49歳だった。

最後に

筆者が自分の生涯のベスト100アルバムを選べと言われたら「Gonna Take Miracle」は確実に入ると思う。そして今改めて聞き返しながら、ベスト10アルバムでも入るかもしれない、とそう思った。

ローラ・ニーロと最初に話の出た吉田美奈子、パティ・ラベル等このアーティクルに登場したアーティストとその周辺の相関関係を、例によってルーツグラフで表示してみた。

このグラフは音楽ルーツグラフで実際に表示して動かして遊んでみることができます。

PVアクセスランキング にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です