アレクサンダー・スチュワートという研究者が、ジェームス・ブラウンのグルーブについて詳しく論じた論文を書いています。
Funky Drummer james brown rhythmic-transformation
これによると、それまでのアメリカのポピュラー音楽(ジャズやブルースはもとよりウェスタンやハワイアンまで)では、はねる=スウィングするリズムが支配的だったのに対し、ジェームス・ブラウンの”Think” 1960年や”I’ve Got Money” 1961年が、スウィングから16ビートファンクへの転換点を作ったのだ、といいます。
一般に、ジェームス・ブラウンのファンクのルーツは、1964年の”Out Of Sight”と言われているらしいです。
この”Out Of Sight”、後のジェームス・ブラウン ファンクを予感させるものがあるとはいえ、これはまったりした8ビートですよね。対して”I’ve Got Money”の方ははじけるような16ビートで、今日的なファンクグルーブを思わせます。
それで、”I’ve Got Money”のグルーブの主役というべきなのが、Clayton Fillyauという当時無名のドラマーです。「ジェームス・ブラウンのビートを発明した」と言われるFillyauは、自身のドラミングのルーツはニューオリンズにあること、Funkの原点はニューオリンズであること、を明言しています。
「シャッフルよりシンコペーションが好きなんだ」という言い方でFillyauは、ブラウン以前のシャッフルあるいは3連符主体のリズムでは、縛りがとても大きくて自由度が少なかった、それに比べて16ビートで細かく刻むシンコペーションの上では、プレイヤーのリズムの自由度がはるかに高い、ということを述べています。まさにこれファンクの原点そのものという発言です。
ファンクの始まりに触れたところで、今度はファンクの完成形を改めてもう一度聴いてみてください。Get Up I Feel Like Being A Sex Machine. 1970年ですね。
さて、上記の論文を私が知ったのは、大和田俊之さんの『アメリカ音楽史』からでした。この著作は、20世紀のアメリカ音楽のいずれかにでも興味を持っている人にとって、本当に面白い本です(この本のことは機会を改めて紹介したい、と思っています)。
その大和田氏の見解ですが、シャッフルというのはミンストレルショーの流れを汲む「滑稽な」リズムで、要するにそこにはアフリカ系アメリカ人への軽蔑のニュアンスが含まれている、JBはそれを脱したかったのだといいます。彼のプライドからすればその感性はありかもしれません。アフリカ系アメリカ人が自らを誇るためのリズムは16ビートFUNKが相応しいのかもしれません。
最後は例によって、ジェームス・ブラウンのRachael マップです。さすがJBというべきか、本当ににぎやかです。