ジミ・ヘンドリックスのロンドン上陸

ジミ・ヘンドリックスを説得して渡英させ、イギリスからのデビューをセッティングしたのは、よく知られているように元アニマルズのベーシスト、チャス・チャンドラーだった。彼はその後ヘンドリックスのマネージャーを務めることになっていた。

1966年の9月24日。ロンドンに到着したその夜にヘンドリックスは、クラブでありライブ会場でもあった「スコッチ・オブ・セント・ジェイムス」でジャム・セッションを行っている。スコッチ・オブ~は当時のロンドンのロック・ミュージシャンのたまり場であり、彼らの社交場でもあった。チャンドラーはまず、ヘンドリックスをロンドンのロック・ミュージシャン達に紹介することを率先した。チャンドラーはとにかく、ヘンドリックスの演奏を一度でも観ればロンドンの連中に強烈なインパクトを与えることができると確信しており、そしてその確信は全くもって正しかった。

キリング・フロア~クリームとのセッション

これは、とても有名なエピソードだが、ヘンドリックスが渡英を決意した動機の一つが、ロンドンでエリック・クラプトンに引き合わせることをチャンドラーが約束したことだった。ヘンドリックスが渡英した時期のエリック・クラプトンは既にジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーと共にクリームを結成していて、12月のレコード・デビューを前にライブ活動を始めていた。

チャンドラーはジャック・ブルースにヘンドリックスのことを紹介し、興味を持ったジャック・ブルースは、クリームのライブでヘンドリックスとセッションを行うことを承諾したのだった。

10月1日、セントラル・ロンドンのポリテクニックでのクリームのライブで、ジミ・ヘンドリックスはセッション参加した。曲はハウリング・ウルフの「キリング・フロア」。エリック・クラプトンは、ジミ・ヘンドリックスの演奏を聴いてショックを受け、茫然と立ち尽くすばかりでギターは弾けなかったという。

この頃のヘンドリックスは、まだオリジナル曲を持っておらず、ライブでは「キリング・フロア」を一八番としていた。ヘンドリックスは、この曲を気に入っており、2枚目のシングル盤を出す際にも候補にあがっていたらしい。しかし「カバーではなくオリジナル曲」を、というチャンドラーの意見でこれは没になっている。だが、ヘンドリックスがこの曲の演奏に相当な自信を持っていたことは間違いなく、初期のライブでも多く演奏されたものが残っている。クリームとのセッションでもこの一八番を自信たっぷりに演奏したであろうことは想像に難くない。

サイケデリック・ブルースの炎上

それから間もなくして、ジミ・ヘンドリックスはロンドンのクラブ・シーンを中心とした「ヒップ」な連中の間では最も熱い話題の中心となる。エリック・クラプトンはピート・タウンゼントと共にヘンドリックスの「追っかけ」状態だった、と証言している。他にも、ポール・マッカートニー、ジョン・レノン、ミック・ジャガー、ブライアン・ジョーンズなどが特に熱心なヘンドリックスのファンになっていた。しかしデビューシングルが発売される前でもあり、ロンドン以外に住む一般の音楽ファンには、ジミ・ヘンドリックスという名前はまだほとんど知られていない。

例えば音楽評論家のピーター・バラカン氏は、この時期にロンドン在住の学生だったが、ジミ・ヘンドリックスのライブを観て衝撃を受けたことを語っている。バラカン氏によれば、その時期のイギリスでは「サイケデリック」はまだ認識されておらず、ブルースでアドリブのギターソロを延々と演奏するというスタイルも、一般の音楽ファンにとっては珍しいものだったという。ブルースという点でも、サイケデリックという点でも、そして何より黒人プレイヤーがロックを演奏する、という点でもジミ・ヘンドリックスのスタイルは極めてユニークで衝撃的だったのだ。

ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスは、ロンドンのクラブで数多くのライブをこなしながら、その合間の10月23日にロンドンのデ・レイン・リースタジオで「ヘイ・ジョー」のレコーディングを行っている。グループとしてのエクスペリエンスを結成してからまだ1か月も経っていないのだが、10月25日にはロンドンのクラブ、「スコッチ・オブ・セント・ジェイムス」で「ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」として公式にロンドン・デビューを果たす。

そして、12月16日にはいよいよ初のシングル「ヘイ・ジョー」がリリースされる。この曲はチャート初登場41位、最高6位とまずまずのヒットとなり、「ロンドンのヒップな連中」以外の一般の音楽ファンにもその名を知られるようになる。

サンシャイン・ラブ

年があけて1月19日。ジャック・ブルースはビートルズの面々、ジョン、ポール、ジョージと共に、ロンドンのサヴィル・シアターでジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのライブを鑑賞した。その後帰宅したジャック・ブルースは、その夜のヘンドリックスの強烈な印象を元にして「Sunshine Of Your Love」のあの有名なリフを一気に作ったのだという。それを知ってか知らずか、ヘンドリックスはライブでこの曲をしばしばカバーしており、その度に「クリームの3人に捧げる」というMCを入れている。しかし、そもそもこの曲は、ジミ・ヘンドリックスに強くインスパイアされたジャック・ブルースとエリック・クラプトンが、ヘンドリックスに捧げる形で作った曲だったのだ。


ジミ・ヘンドリックスが1966年の9月にロンドンに上陸してからわずか半年ばかりの間に、ロンドン周辺で彼の音楽が衝撃とともに炎上する様子が少しでも伝わっただろうか?

参考


定本 ジミ・ヘンドリックス その生涯と作品(レコード・コレクターズ増刊)

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