ジミ・ヘンドリックスのアメリカ凱旋


ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル 1967【アナログ盤】 [ ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス ]

2023年11月にリリースされたジミ・ヘンドリックスとエクスペリエンスの『ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル』を紹介したい。凱旋の後、アメリカでもブレークする直前で悪く言うとまだくすぶっていた頃のライブになる。

これを書いている2024年4月現在で最新の公式リリースアルバムとなり、1967年8月、ハリウッド・ボウルでのライブ音源だ。ここに収められた録音は全て、これまで海賊版でも一度も公開されたことがない録音の初公開というのが売りになっている。

このアルバムの評価をネット上で探すと、「今更特に目新しいところもない、専らマニア用のリリースだ」という意見を見て少しがっかりするのだが、筆者の個人的な感想を言わせてもらえば、このアルバムは初期エクスペリエンスの貴重なライブ盤としてマニア以外にも是非聴いて欲しいと感じている。理由は後に述べる。

このライブが行われたのは1967年の8月18日。この時期のヘンドリックスとエクスペリエンスは、イギリスでは既にブレークしていたものの、アメリカではまだほとんど無名、という微妙な時期だった。そしてモンキーズのツアーで前座をつとめて散々な目に合うという「不運」にも遭遇しており、短い期間とはいえ「不遇」の内にあった。このライブ盤にはそんな不遇の時期にあっても自分たちのスタイルをひた走るエクスペリエンスの熱演が収められている。

アメリカ凱旋とモンタレー・ポップ・フェスティバル

1967年の6月13日 エクスペリエンスは、モンタレー・ポップ・フェスティバルへ出演。ギターに火を点けたここでの演出は伝説になっているが、そのライブがレコードとしてリリースされるのはかなり先の1968年の12月になってからだった。

5月1日にはアメリカで初めてのシングル「ヘイ・ジョー」にをリリース。続く6月19日には「パープルヘイズ」をリリースしている。イギリスでのスマッシュヒットを受けてのアメリカ・リリースだったのだが、これはほとんど話題にもならなかったし、チャートでも「パープルヘイズ」の最高位が60位台だった。つまり、1967年夏の時点で、アメリカ国内にいる一般の音楽ファンの間でジミ・ヘンドリックスとエクスペリエンスは、まだほとんど無名に近かったのだ。(ファーストアルバム Are You Experienced?の米国盤は8月23日にようやくリリースされる)

そもそもモンタレー・ポップ・フェスティバルへヘンドリックスの出演が実現したのは、フェスティバルを企画・発案したメンバーの一人でその中心人物だったママス&パパスのジョン・フィリップスの尽力によるものだった。

同じくママス&パパスのメンバーであったミッシェル・フィリップスの証言によれば、ジミ・ヘンドリックスの(フェスティバルへの)出演を推薦したのは、ポール・マッカートニーだったという。「ジミ・ヘンドリックスを(フェスティバル)に絶対に呼ぶべきだ。絶対に!」というポールの強いプッシュにしたがってジョン・フィリップスが動いたのだ。

フェスティバルは大成功だったが、アメリカ(というマーケット)は広くて巨大だ。ジミ・ヘンドリックスの衝撃はまだモンタレーに居合わせた一部の音楽ファンの間に限られており、その後のヘンドリックスとエクスペリエンスの活動も必ずしも順風満帆とはいかなかった。

モンキーズツアーでのジミ・ヘンドリックス

当時のアメリカではモンキーズがテレビを中心に人気の絶頂を極めていた。そのドラマーであるミッキー・ドレンツが訪英時にヘンドリックスの演奏をたまたま見て衝撃を受けており、さらにモンタレーのヘンドリックスも目撃していた。そこで、モンキーズの全米ツアーのオープニングアクターとしてヘンドリックス・エクスペリエンスにオファーを出したのだという。

普通に考えれば、ヘンドリックスがモンキーズの前座を務める、というのはおよそ最悪のアイデアだ。モンキーズの熱狂的なファンはテレビにかじりついている10代の女の子達で、彼女たちがヘンドリックスに関心を持つはずがない。それでも、ヘンドリックスのマネージングパートナーだったマイク・ジェフェリーはこれを「絶好のチャンス」と捉えてオファーを独断で受けてしまったのだそうだ。もう一人の(正式の)マネージャー、チャス・チャンドラーは事後的にこのオファーを知って激怒したと伝えられている。

そして7月8日から始まったモンキーズとのツアーは、エクスペリエンスにとって予想通り「最悪」のものとなってしまった。行く先々でブーイングの嵐に見舞われたヘンドリックスとエクスペリエンスは、10日も経たないうちに、オープニングアクトを降りることになった。モンキーズのファンの子たちはブーイングで「早くモンキーズを出せ」「サイケデリックなんてはやくひっこめ」という抗議をぶつけていたそうだ。

ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル

モンキーズのファンからはさんざんのブーイングの嵐を浴びていたとはいえ、アメリカの音楽シーンの中にいるアーティスト達の間では、ジミ・ヘンドリックスの名は少しずつでも知られ始めていた。ママス&パパスのジョン・フィリップスやモンキーズのミッキー・ドレンツのようにアメリカにおける初期のヘンドリックスファンは音楽シーンのアーティスト達だったのだ。

かくして1967年の8月18日ハリウッド・ボウルで行われたママス&パパスのコンサートで、そのオープニングアクトをジミ・ヘンドリックスとエクスペリエンスが務めることになった。その時の模様が「Jimi Hendrix Experience: Live At The Hollywood Bowl: August 18, 1967」に収められている。

この音源は元々、コンサートの音響スタッフが密かに録音したものだった。エディ・クレイマーのリマスターにより公式にリリースされているとはいえ、素性としては海賊版レベルなので音質はお世辞にもよくない。観客席の歓声や拍手はほとんど聞こえない。これは録音のせいもあると思うのだが、ママス&パパスを観に来たこの時の観客達は、おそらく始めて見るヘンドリックスの演奏にあっけにとられていた、と推察できる。先にも挙げたママス&パパスのミッシェル・フィリップスの証言からも、ヘンドリックスのサウンドとステージアクトが、そこに居合わせた観客にとっていかに衝撃的であったかがわかる。ライナーノーツに記載されたミッシェルの言葉を借りれば「シアトリカルなステージでまるでギターとセックスしているみたいだった」「とんてもなく衝撃的だった」と表現している。

モンタレーでの乗りに乗った熱い演奏に比べると、ハリウッド・ボウルでの演奏は、悪く言うと覚めた演奏にも聞こえる。直前のモンキーズツアーでの気まずい経験が多少影響していたかもしれない。

しかしながら、演奏自体はほぼ全力投球と言っていいのではないか。ちょうど観客のいないスタジオライブでの丁寧かつ全力の演奏を聴いているような雰囲気がある。演奏も歌も手抜きのようなものは一切感じない。これは形容矛盾だが「覚めた熱演」とでも呼びたい。比較的計算された演奏ともとることができる。初期のヘンドリックス・エクスペリエンスのライブとして、クオリティはとても高いのではないか。ビートルズのサージェントペパーズをオープニングとするセットが、ヘンドリックスとエクスペリエンスを初めて聞く群衆に対して、彼らの音楽を丁寧にデモンストレートしているように筆者には聴こえてしまう。それが冒頭に述べた、このアルバムをマニア以外の音楽ファンにも聴いて欲しい理由だ。

A1 Introduction

A2 SGT. Pepper’s Lonely Hearts Club Band

A3 Killing Floor

A4 The Wind Cries Mary

A5 Foxey Lady

A6 Catfish Blues

B1 Fire

B2 Like a Rolling Stone

B3 Purple Haze

B4 Wild Thing

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