メンフィス・ミニー ~ブルース・クイーン

ブルース・クイーンの名で呼ばれるメンフィス・ミニー Memphis Minnie 本名はLizzie Douglas (June 3, 1897 – August 6, 1973)。

「史上最も人気のある女性カントリーブルースシンガー」と評されることもあり、ブルース・クイーンやブルースの女王という称号も見かける。ビッグ・ビル・ブルーンジーと共演したことがあって、彼による賞賛もある。1988年にはブルースの殿堂入りを果たした。

1950年代に体調を崩してメンフィスに戻るまでの間200曲以上を録音しておりロック系アーティストによるカバーも少なくない。

ジェファーソン・エアプレインが”Me and My Chauffeur Blues “をデビューアルバムでカバーしている。レッド・ツェッペリンは、”When the Levee Breaks”を原曲として歌詞もメロディも異なる改作をした(クレジットにはMemphis Minnieの名が入っている)。この曲のカバーを提案したのはロバート・プラントだった

マジー・スター Mazzy Starは1990年のデビューアルバムで”I’m Sailin'” をカバーしている(クレジットなし)。

ボブ・ディランの1962年にリリースされたデビューアルバム『Bob Dylan』に収録されたBaby, Let Me Follow You Downという曲は、彼がニューヨークで出会った Eric von Schmidtという歌手から聴いたもので、彼はEric von Schmidtの名をクレジットして敬意を表した。しかしEric von Schmidt自身の証言によれば、この曲の元歌はカンサス・ジョー&メンフィス・ミニーの”Can I Do It for You”である。

他にもドノヴァンの「Hey Gyp (Dig the Slowness)」の元歌が”Can I Do It for You” だとする資料もあったがクレジットがなく確認できなかった。

生年、生地は諸説あってはっきりしないが1897年前後の生まれで、10代の頃にはメンフィスでストリートシンガーとして知られていた。ストリートで歌っているところをスカウトされて、1916年から1920年までの間リングリング・ブラザーズ・サーカスの一員として南部を巡業して廻ったらしい。

1920年代にスライドギターの名手として知られるケイシー・ビル・ウェルダン Casey Bill Weldonと結婚し音楽活動を共にするが、長続きしなかったらしく詳細はわかっていない。因みにケイシー・ビル・ウェルダンは結婚時に彼女より年下でまだ10代だったらしい。ケイシー・ビル・ウェルダンはそのスライドギターでシカゴブルースに大きな影響を与えたと言われるプレイヤーで、シカゴで活躍中にビッグ・ビル・ブルーンジーらと共演している。

1929年、彼女は2番目の夫であるジョー・マッコイ Joe McCoy と共にニューヨークで”Bumble Bee”をレコーディングして”Kansas Joe and Memphis Minnie”の名で売り出し、この曲は彼女の代表曲となった。これ以降、ピアノやホーンを取り入れたより都会的なブルースを演るようになった。

1930年代にはシカゴに移りアーバン・ブルースのギタリスト・シンガーとして大活躍した。この時代には、伝説的なブルース・プロデューサー、レスター・メルローズのスタジオで社内セッション・プレイヤーとなり、ビッグ・ビル・ブルーンジーやタンパ・レッドと交友があった。シカゴブルースの本流の中にいたといってよく、エレクトリック・ギターをいち早く取り入れたギタリストでもあった。

1939年には、3番目の夫 Ernest Lawlars =リトル・サン・ジョー(Little Son Joe)と組んで”Me and My Chauffer”がヒットする。このように生涯で3人のミュージシャン、しかも3人とも名うてのギタリストを伴侶として音楽活動を共にしていた。そして彼女自身のギターの腕前もそれなりに高く評価されている。

ところで、彼女のキャラクターは強気な男勝りだったようで、ギターと一緒にナイフとピストルを常に持ち歩いていた、という伝説もある。彼女のラフでワイルドな歌い方を聴いていると、それもあながち嘘ではなかったのではないかと思わせるものがある。

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