Leroy Carr (March 27, 1904 or 1905 – April 29, 1935)
戦前のアメリカで活躍したブルース・シンガー、ソングライター。その都会的なピアノとボーカルのスタイルはロバート・ジョンソンやT・ボーン・ウォーカーら後続のブルースメンに大きな影響を与えたことで知られるが、その影響はブルースにとどまらず、ナット・キング・コールやレイ・チャールズにまで及んでいる。戦前ブルースの最重要人物との評価も目にするが、いずれの評価も都会派ブルース=アーバン・ブルースの原点としての彼に対するものとなっている。
Leroy Carr / How Long – How Long Blues 【CD】
テネシー州ナッシュビル生まれ。ピアニストとして本格的に活動し始めるのは1920年代の後半のことだった。ギタリストのスクラッパー・ブラックウェル(Scrapper Blackwell)とコンビを組んで1928年にレコーディングした「How Long Hoe Long Blues」が記録的な大ヒットを記録する。そのヒットはブルースマーケットをはみ出して白人リスナーまでその人気に巻き込んだ、と言われている。それ以降ブラックウェルとのコンビで160曲あまりを録音し不動の人気を誇った。
一聴して感じるのは、録音の古さを除いてしまえばそのまま現代に通用するのではないかと思えるほどに洗練された、文字通り「都会のブルース」だということ。そして、その洗練が後続のアーティスト達をインスパイアしたことは容易に見て取れる。ギターのブラックウェルとのコンビネーションは実に絶妙で、ピアノの和音を土台にギターが彩を加える、という形ではなく、ギターのエッジの立ったサウンドがコンスタントに刻むリズムに乗っかる形で、リラックスしたピアノ弾き語りが成り立っている。
その経歴を見ると、密造酒製造で有罪判決を受けて服役経験があるらしいが、早世もアルコールが原因だった。人気者として各地を巡業しながら酒浸りの生活を繰り返し、肝臓のダメージで体調をかなり悪化させた挙句の果て、1935年の4月に急死してしまった。まだわずか30歳、人気も絶頂のままだった。
それにしても、ブルース界で直接的な影響・継承関係のある、リロイ・カー、ロバート・ジョンソンそしてジミ・ヘンドリックスがいずれも立て続けに30歳までで夭逝というのは、今更ながらに、飽きもせず繰り返して「十字路の悪魔」の仕事を考えてしまうわけだ。
ロバート・ジョンソンが最初に覚えたブルースが「How Long How Long Blues」だったという説がある。 さらにロバート・ジョンソンの「Love in Vain」はリロイ・カーの「When th Sun Goes Down」を元歌にしている、というのが定説になっている => Love in Vain – Wikipedia。「Love in Vain」はストーンズやクラプトンのカバーでよく知られている。ブルースではあるが、センチメンタルなバラードとして聴くこともできるような名曲だ。
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以前の記事でロバート・ジョンソンのSweet Home Chicagoはリロイ・カーのBaby Don’t You Love Me No Moreにインスパイアされていることを書いた。