シティポップ~何故?への個人的なまとめ

リバイバル・ブームの混迷

シティ・ポップが話題にのぼるようになってから結構時間が経っている。シティ・ポップについてネットで調べてみると、今や情報が多すぎて、しかもその多くがアバウトだったり、場合によっては勘違いのためにちょっとした混乱を起こしているようにも見える。

一方で一過性のブームとしてのシティ・ポップ・リバイバルは終わった、という意見があり、もう一方では、ある種のメタ・ジャンルとして、つまり「異質な複数のジャンル」を包括するようなジャンルとしての「J-シティ・ポップ」が完全に定着した、という意見も目にする。個人的には、後者のメタ・ジャンル定着説にほぼ合意している。

筆者はシティ・ポップのリアルタイムのど真ん中で、それらを浴びるほど聴いた世代だ。昨今のシティ・ポップリバイバルに感じる微妙な違和感はなんともしがたい。そこで、自分としてはどうしても一度これらシティ・ポップにまつわる様々をまとめておきたくてこれを書いた。

背景 レア・グルーブ~フューチャー・ファンク

この「異質な複数のジャンル」の有様は歴史のタイムラインで調べてみると意外に複雑なのだが、強引に整理すると以下のようになる。

・レア・グルーブ、アシッド・ジャズといったUKクラブシーンの流れを受けた和モノ・レア・ブルーブ=和製ブギー・ファンクがアンダーグラウンドの一部でもてはやされていた。そもそもレア・グルーブには音楽シーンのフロントから隠れてしまった、でもそれなりの個性と価値を持った音源を掘り出す、というモチベーションがある。そうして見ると和製ブギーファンクは格好のネタになり得るわけだ。およそゼロ年代の半ば頃に日本のクラブシーンから始まって英米のそれにゆっくりと感染したらしい。これはあくまで文字通りにRareとしての和モノの流れで、概ねネットメディアが全盛となる以前の段階での話。

・おそらくクラブシーンの流れの影響を受けたリアルなバンドにおけるネオ・シティ・ポップの流れがあって、それはおよそゼロ年代から現在まで静かなムーブメントが動き続けていた。筆者は実はこの「ネオ・シティ・ポップ」という括りを最近まで知らなかった。にもかかわらず、ネオ~に括られるアーティストやグループをほぼ全部知っていて、しかもその多くを愛聴していたのは、他でもない、音楽ストリーミングサービスのレコメンドシステムの恩恵だ。

・専らネット上で進行した、ヴァイパー・ウェイブ~フューチャー・ファンクの流れ。80年代J-Popの中でもブギー・ファンク系のモノをサンプリングして切り刻むというかなり乱暴な換骨奪胎スタイルが一部のユーザーの間でマニアックに受けまくっていた(サンプリングはもちろん非合法)。これがJ-シティ・ポップ・リバイバルの一翼を担ったことは間違いない。

・そして、これらを受けてのここ数年、ヒップ・ホップ系メジャー・アーティストの合法的な和モノサンプリングが出てきた。

シティ・ポップがリバイバルでブレークしたのは、YouTubeなどのレコメンドシステムによる偶然であるという指摘をよく目にする。確かにきっかけは偶然かもしれないが、リバイバルのムーブメントには少なくともこれだけの背景があったことは特筆しておきたい。要するには80年代からアンダーグラウンドで静かに流れてきたものが、ネットメディアの時代になって連鎖反応的に結びついた、ということのように見える。つまり、ネットメディアがこれだけ普及した以上、J-シティ・ポップのリバイバルは一種の必然であった、と考えることもできる。

タイムライン 前景:山下達郎、竹内まりや、吉田美奈子、松原みき

ここ10年を振り返り、シティ・ポップ・リバイバルの前景においての目立った動きを整理してみる。

  • 2013年。 ネット発のアーティストとして注目を集めたセイント・ペプシが、自身の楽曲に山下達郎「Love Talkin’」をサンプリング。以降ヴァイパー・ウェイブから派生した「フューチャー・ファンク」と呼ばれるネット上のマイクロ・ジャンルにおいて、J-Popのサンプリングがサンプリングネタの定番として定着した。ついてくる映像は必ずといっていいほど(懐かしい)日本製アニメ(うる星やつらのラムちゃんとか)の違法切り抜き。
  • 2017年。竹内まりやの「Plastic Love」がYouTubeに非公式でアップロードされる。この動画は2018年に著作権意義申し立てによって削除されたものの、いったんは復活した後、2021年7月に再び削除されるまでの間で7000万回の再生を記録した。2021年の再削除は、公式のリメイクPVを公開するための措置だったと思われる。因みにこの公式リメイクPVは24年5月の時点での再生は3800万回におよび、さらに再生されてコメントが付き続けている。要するに公式にPVをリメイクさせるほどのインパクトがあった、ということだ。
    この辺りから、一部メディアで「シティ・ポップ」のリバイバルが囁かれるようになる。そしてこの「Plastic Love」のバズをきっかけにして、先にあげた「フューチャー・ファンク」にはまるユーザーも出てくるようになったらしい。逆にアンダーグラウンドのジャンルだった「フューチャー・ファンク」の側が盛り上がって表に出始めるという、言わば相乗効果が働いた可能性が強い。
  • 2019年。ジェイ・Zが代表を務めるレーベル「Roc Nation」から8月にリリースされたアンジェリカ・ヴィラの「All I Do Is 4U」において。吉田美奈子のアルバム『Monochrome』(2000年リリース)所収の「Tornado」をサンプリング。因みにこの楽曲、サンプリングが怖いほどにハマって本当に魅力的な作品になっている。ノスタルジックで感傷的。
  • 2020年。松原みきの「真夜中のドア」をインドネシアのシンガーでYouTuberのRainychがカバー。これがTikTokを介して大きなバズとなる。これを受けたポニーキャニオンが11月に公式の音源を改めてリリース。12月にはSpotifyのバイラルチャート「World」で1位になる。この頃はコロナが猛威を奮う最中だったが、一般の音楽ファンにも「シティ・ポップ」がリバイバルしているらしい、という情報が行きわたるようになった。
  • 2022年:Tyler, the Creator(タイラー・ザ・クリエイター)が1月にリリースしたアルバム『IGOR』に収録された“GONE, GONE / THANK YOU”において、山下達郎が1998年にリリースした『COZY』の“Fragile”をサンプリング。
  • 2022年:The Weekndがリリースした Dawn FMの中の「Out Of Time」で亜蘭智子の「Midnight Pretenders」をサンプリング。

※因みに近年のサンプリングでは、吉田美奈子も山下達郎もきちんとクレジットされている。

ここまで見てみると、シティ・ポップのリバイバルが一過性のブーム、もしくはネット上の偶然的バズに過ぎない、という見解はほぼ否定されていいように思われる。

よく言われるように、ブームのきっかけは、例えばYouTubeのレコメンド・アルゴリズムによる偶然だったことはその通りだと思う。元々J-Popはマーケットとして自足しており、ごく一部の例外を除いて海外進出の野心をほとんどもっていなかった。海外の、とりわけUS西海岸のフュージョン、AOR、UKのアシッド・ジャズ、ブギー・ファンク等々を生真面目に模倣しながらも、国内市場で充足して悪く言えばガラパゴス的な進化をとげてきたと言える。そのガラパゴスぶりは、かつては、海外でごくわずかに出回る和製レコード盤を介して、アンダーグラウンドな認知の下にあった。結局、ガラパゴスであること自体が魅力であった。それがネットというメディアの登場で徐々に、そして近年になって爆発的に陽の目を見ることになった、という経緯が見えてくる。

海外の目から見たシティ・ポップ

「Pacific Breeze: Japanese City Pop AOR & Boogie 1976-1986」という日本のシティ・ポップを紹介するコンピレーション盤がある。最近シティ・ポップのコンピレーションは多く出ているが、この盤は選曲が出色で他と一線を画している。1976-1986とはなっているが、重心がどちらかというと70年代の方に(つまりブギーファンク系よりもレアグルーブ系に)傾いているのと同時に、細野晴臣へのリスペクトが強く感じられるものになっている。


【輸入盤LPレコード】VA / Pacific Breeze: Japanese City Pop (Blue)【LP2023/3/24発売】

このコンピレーションを仕組んだ一人であるアンディ・キャビック(Vetiverのフロントマンでシンガーソングライター)が日本版ローリングストーンのインタビューに答えた発言があるのだが、これがとても示唆深く、J-シティ・ポップの海外受容の本質をついているように思えたのでここで紹介しておく。

「AORやウェストコースト・ポップ、そういうのは耳が腐るほど聴き飽きていて、もはや脳が拒絶反応を示すんだ。」

「でも全く違った環境で耳にすると、目から鱗のような体験をすることもある。異国文化というフィルターを通したその音楽に、僕は懐かしさと新鮮さを同時に覚えたんだ。」

https://news.line.me/detail/oa-rollingstone/5094d11d730b

これはキャビックが渋谷のタワーレコードで70年代末から80年代前半の和製ポップスをまとめて試聴した後での感想だ。

この親近感と懐かしさを同時に触発しながら漂うエキゾチカこそ、現在海外の音楽ファンをJ-シティ・ポップに惹きつけている理由を端的に表している。

翻って考えてみると、J-シティ・ポップをリアルタイムで浴びるように聴いていた筆者は、欧米のブギー・ファンクやジャズ・フュージョン、AORをスタイル見本として必死に真似ながらも、日本語を載せた時点でどうしても「別もの」になってしまうそれらの音楽を、要するに「陳腐なイミテーション」の限界として劣等感の内に感じていた。

だが、今になって、今更のように考えてみると、海外のサウンドを模倣しながらも日本人が日本語で歌う以上どうしても拭えない日本的なものを、むしろポジティブに、個性として差別化による魅力として少しは認めてもよかったのではないかと思うのだ。

そうしてみると、バブル直前の浮ついた空気を嫌悪し、巨大消費の放蕩を評論家気取りに見渡して、かつ欧米コンプレックスがどこまでいっても抜けきれなかった当時の自分の感性の方が何かとても恥ずかしく思えてくる。


シティポップとは何か [ 柴崎 祐二 ]
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