ジミ・ヘンドリックスとピエール・アンリ、あるいはミュージック・コンクレート

 前の記事では、ジミ・ヘンドリックスのレコードコレクションのことに少しだけ触れた。彼のレコードコレクションのリストを眺めているとどこまでも興味が尽きないのだが、今日はピエール・アンリについて書きたいと思う。

ピエール・アンリ[1](Pierre Henry、1927年12月9日 – 2017年7月5日[2])は、フランスの現代音楽の作曲家。ピエール・シェフェールとともに、電子音楽の一分野であるミュジーク・コンクレートの先駆者と見なされている。ナディア・ブーランジェとメシアンに師事している。

ピエール・アンリ – Wikipedia

ミュジーク・コンクレートまたはミュージック・コンクレート (musique concrète)は、1940年代の後半にフランスでピエール・シェフェールによって作られた現代音楽のひとつのジャンルであり、音響・録音技術を使った電子音楽の一種。具体音楽とも訳される。

ミュジーク・コンクレート – Wikipedia

 ジミ・ヘンドリックスは1967年にパリで行われたピエール・アンリのコンサートに出席し、ピエール・アンリの作品『ドアとため息の変奏曲』に感銘を受けた、という記録が残っている。しかも、アンリの側でもジミ・ヘンドリックスを知っており、ある程度の評価をしていた、という記載がアンリの伝記にあるらしい。

 彼のレコードコレクションのリストに載っているのは”Le Voyage: D’apres le Livre des Morts Tibetian”というアルバムなのだが、これを少しでも聴けばヘンドリックスが何に興味をもったのかはすぐに理解できると思う。

 ジミ・ヘンドリックスの音楽的好奇心は、バロックから電子音楽まで自由で気ままで幅広かった。20世紀音楽という視点で、ミュージック・コンクレートというムーブメントがそれほど重要だったとは(個人的には)思えないのだが、ロック・ギターにおけるヘンドリックスの影響が絶大であることは論を俟たないだろう。

 音楽に限らず、大きな革新をもたらす者は皆、破壊者であると同時に創造者であるわけだが、破壊者と創造者の間には巨大な隔たりがある。歴史に名を連ねるクリエイターの多くが、後から振り返ってみればつまらない破壊者に過ぎなかった、という例は枚挙に暇がない(のではないか)。であれば余計に、真にクリエイターであったといえる彼の価値は、数えきれないほど多くのフォロワー=ギタリストの仕事が証明している。壊したものより創って伝えたものの方が遥かに大きかった。

 最後に、ジミ・ヘンドリックスの音楽ルーツをRachaelマップで確認しておく。ブルーズメンやボブ・ディラン、前の記事でも触れたヘンデルに加えて、ピエール・アンリが確認できる。アンリの師匠は、かのナディア・ブーランジェなわけだ。

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